今年はTBSドラマ「3年B組金八先生」の45年の節目です。
最初にこのドラマを見たのはまだ学生の時で音大に通っている時でした。
教育実習があって、なぜか民謡の「斎太郎節」を中学生に教えることになって
奮闘しながらの授業でしたが、のちに生徒さんから手紙をいただいて
「先生は、まるでTVの金八先生みたいでした」と書いてあったことを思い出します。
この時は、まさか自分が金八先生のドラマの音楽を担当するとは
想像もしていませんでした。
私はパート3からの音楽担当(ゲキバン)でした。
金八先生のプロデューサーが柳井満さんで、
金八先生の音楽をお願いしたいとお声をかけていただいたときは、本当にびっくりしました。。。!
これよりも数年前、柳井さんがピンチヒッターで演出されたドラマの音楽担当だった時、
初めてお会いしました。
懐かしの『ポーラテレビ小説・朝の夢(主演は田中理佐さんで石原伸晃代議士の奥様です)』
です。
私はまだ20代前半でしたが、いくつかのドラマの音楽を担当させていただいていた頃でした。
その後、柳井さんがプロデュースされた「気まぐれ白書」「親子ジグザグ」「親子ウォーズ」
等で音楽担当に抜擢いただき、金八先生に繋がっていきました。
今でさえ女性の作曲家は増えましたが、当時は珍しい時代で、
奇異の目で見られることも多かったです。
柳井さんにh本当にお世話になり、ドラマ(映像)の音楽について多くを教えていただきました。
金八先生パート3の時は、私はフランス・パリでレコーディングをしており、
この合間に金八先生の音楽のレコーディングをしに日本に戻り、
終わったらまたパリへ、という状況でした。
「朝の夢」で柳井さんが演出家としてピンチヒッターでお会いしていなければ、
今の私は何をしていただろうかと思うこともしばしばです。
柳井さんはもうこの世にはおられませんが、
金八45年目の節目を、きっと懐かしく思っていらっしゃることと思います。
尊いこの番組の音楽に抜擢いただいたことは生涯忘れません。
柳井さん、ありがとうございました。
3月30日が柳井さんのお誕生日でした。
桜を見ながら、心からの感謝を込めて。。。。。