2020年12月25日金曜日

Merry Xmas

 今日はクリスマス。

私は誕生日が12/23なので、いつもクリスマスと一緒のプレゼント(笑)。

ミサという名前も、本名は美佐なのですが、母がミサ曲が大好きで、

それで、イブの前日に生まれたということもあり「美佐(ミサ)」と名付けたそうです。


ミサには「祈り」という意味もあります。


1990年の誕生日とクリスマスはパリにいました。

その際、私の作曲の先生のジャンクロード・プティ先生が、

友人の奏者が演奏するので、ということで、パリ最古のサンジェルマン・デ・プレ教会の

クリスマス・イブのミサに連れて行ってくださいました。


初めて、本格的なミサに参列させていただきました。

荘厳な空間と神父様のお言葉。そして素晴らしい演奏と合唱でのミサ曲。


この時、ふと、「ここでコンサートしたい」と思ったのです。

なんという傲慢な。

でも、ふと、思ったのです。


それから17年後。日仏150周年のプレとして、また、

奈良県平城遷都1300年祭のプレとして、

サンジェルマン・デ・プレ教会で私のコンサートが行われました。


演奏は、私のアルバム等でご一緒させていただいている

国立パリ・オペラ座管弦楽団の奏者達。

自作曲のみで構成され、私はピアノと指揮を担当しました。

合唱はユネスコ・パリ本部の合唱団の皆さん。


華シリーズからの楽曲や、

大和路シンフォニー第4楽章合唱付き等、アジアンテイストの楽曲とともに

「祈りの時」というコーナーで、ルクス〜救い(金八先生第6シリーズ挿入歌)や「pure」、「Eurasia〜ユーラシア」等、ラテン語の楽曲をユネスコ合唱団が歌い上げてくださいました。


あの日のミサを想い、ずっと心の中でサンジェルマン・デ・プレ教会でのコンサートを描いていた私でした。


夢は叶う。

本当にそう実感したコンサートでした。

その後はパリ・マドレーヌ寺院でのコンサートも実施させていただき、

日本の興福寺・東金堂前でのコンサートも行わせていただきました。


ミサと名付けてもらい、

私なりの「ミサ 曲」を創って行きたく、

ここまで辿り着きました。


私の「ミサ」は音楽の本来の姿。つまり、、、

高次のものへの祈りの心です。


ああ、だから、到底無理だと思っていながらも

サンジェルマン・デ・プレ教会で実現できたのだ。

マドレーヌ寺院もそうなのだ。

興福寺も。


何かにきっと導かれてるのだと。


ユネスコ平和芸術家に任命いただいたことも、

「ミサ」と繋がっていると信じています。


自分の道を、自分の「ミサ」を、これからもゆっくりと歩いて行きます。


                                      1990年、サンジェルマン・デ・プレ教会の前で