今日はクリスマス。
私は誕生日が12/23なので、いつもクリスマスと一緒のプレゼント(笑)。
ミサという名前も、本名は美佐なのですが、母がミサ曲が大好きで、
それで、イブの前日に生まれたということもあり「美佐(ミサ)」と名付けたそうです。
ミサには「祈り」という意味もあります。
1990年の誕生日とクリスマスはパリにいました。
その際、私の作曲の先生のジャンクロード・プティ先生が、
友人の奏者が演奏するので、ということで、パリ最古のサンジェルマン・デ・プレ教会の
クリスマス・イブのミサに連れて行ってくださいました。
初めて、本格的なミサに参列させていただきました。
荘厳な空間と神父様のお言葉。そして素晴らしい演奏と合唱でのミサ曲。
この時、ふと、「ここでコンサートしたい」と思ったのです。
なんという傲慢な。
でも、ふと、思ったのです。
それから17年後。日仏150周年のプレとして、また、
奈良県平城遷都1300年祭のプレとして、
サンジェルマン・デ・プレ教会で私のコンサートが行われました。
演奏は、私のアルバム等でご一緒させていただいている
国立パリ・オペラ座管弦楽団の奏者達。
自作曲のみで構成され、私はピアノと指揮を担当しました。
合唱はユネスコ・パリ本部の合唱団の皆さん。
華シリーズからの楽曲や、
大和路シンフォニー第4楽章合唱付き等、アジアンテイストの楽曲とともに
「祈りの時」というコーナーで、ルクス〜救い(金八先生第6シリーズ挿入歌)や「pure」、「Eurasia〜ユーラシア」等、ラテン語の楽曲をユネスコ合唱団が歌い上げてくださいました。
あの日のミサを想い、ずっと心の中でサンジェルマン・デ・プレ教会でのコンサートを描いていた私でした。
夢は叶う。
本当にそう実感したコンサートでした。
その後はパリ・マドレーヌ寺院でのコンサートも実施させていただき、
日本の興福寺・東金堂前でのコンサートも行わせていただきました。
ミサと名付けてもらい、
私なりの「ミサ 曲」を創って行きたく、
ここまで辿り着きました。
私の「ミサ」は音楽の本来の姿。つまり、、、
高次のものへの祈りの心です。
ああ、だから、到底無理だと思っていながらも
サンジェルマン・デ・プレ教会で実現できたのだ。
マドレーヌ寺院もそうなのだ。
興福寺も。
何かにきっと導かれてるのだと。
ユネスコ平和芸術家に任命いただいたことも、
「ミサ」と繋がっていると信じています。
自分の道を、自分の「ミサ」を、これからもゆっくりと歩いて行きます。